アーサー・C・クラークの種本「失われた宇宙の旅2001」によると、当初、それは自律移動型二足歩行ヒューマノイドとして考えられ、「ソクラテス」という名前だったようです。
ちょっと長くなりますが、ソクラテスの外形は以下のように描写されています。
「ソクラテスは平凡な筒形で、あちこちに見える検査ふたの下には、電子機器が隠れている。
両腕は、脚をもっと細かくデリケートにしたものだと思えばいい。
右の手首から先は単純な三本指となり、ぐるぐると回転する。
左手のほうは、万能工具で、いろいろ取り揃えた便利な器具の中には、コルク抜き兼缶切りも含まれる。
首から上は顔ではなく、種々のセンサーの集合から成るむき出しのフレームワークである。
一台のTVカメラで360度の視野が得られるが、これは四つの広角レンズがそれぞれ四つの方向を向いているからである。
人間と違い、ソクラテスには自由に動く首は必要ない。
彼はぐるりをいっぺんに観ることができるのだ」
この種本には映画の製作過程で失われたオリジナルの原稿が載っており、それにまつわるエピソードも含めとても面白いのですが、
ソクラテスがそのまま登場していたら、「2001年」はきっとありきたりの陳腐な映画になっていたことでしょう。
ヒューマノイドが宇宙船を操縦するというのは、ロボットが車を自分で運転するようなもの。
宇宙船がロボット化(HAL9000)しているからこそ、制作開始から40年たってもリアリティを感じさせるのです。
作者もヒューマノイドでは、やはり無理があると感じていたようで、ソクラテスのことを
「あのくそいまいましい金屑のかたまり」と自虐的に描写しています。
とはいえ、アーサー・C・クラークは、ロボットの進化について登場人物に次のように言わせるのを忘れていません。
「(ロボットは)いまだ原始段階にあるものの、彼らは学んでいく。
すでに人脳の及びもつかない複雑な問題を処理しているのだ。
さほど遠からぬうちに、彼らは自らの後継者をデザインし、ホモ・サピエンスには理解できないゴールへと手を伸ばすようになるだろう。
(中略) その日が来ても彼らがおのれの造り主たちと仲良くしてくれたら・・・そう願わずにはいられない」
出典: 「失われた宇宙の旅2001」
(アーサー・C・クラーク著、伊藤典夫訳 / 早川書房)