その間、2つの邸宅を建築する以外は講演会や執筆活動を行い、特に伊勢神宮や桂離宮を賞賛したことで、いつしか「日本美の発見者」と形容されるようになります。
その一方、タウトは日本での生活を克明に綴った日記や1400点余りの写真を残しています。
その写真には、花見の酒宴、朽ち果てそうな民家、長屋の路地、福助足袋の看板写真から、紙芝居に見入る子供たち、ボロは着ているが元気でたくましそうな乞食、葬式、墓、ちんどん屋、アドバルーン、そして地面に寝そべる忠犬ハチ公や秋田の箱ゾリまで、タウトが好奇心のままに撮ったなんでもありの日本の姿が写されています。
特にタウトが関心を示したのが「おんぶ」。
中でも子供が赤ん坊を背負う「おんぶ」写真を多く残しています。
そして、この習慣が「分別のある子供を育てる」結果になっているのではないかとも考えたりしています。
そういえば、最近赤ん坊を「おんぶ」する子供などお目にかかったことはなく、子供のいる若いお母さんでさえ「抱っこ」はしていても「おんぶ」はしません。
やはりタウトの日本を見る目は確かなようです。
それにしても、撮った写真のほとんどはピンぼけで(カメラの所為でもあるようですが)、しかも被写体の首から上が写っていなかったり、なにを撮りたかったのかわからない構図の写真も多く、名建築家必ずしも名カメラマンにあらずというところに、かえって親しみを覚えます。
参考 タウトが撮ったニッポン(武蔵野美術大学出版局)