生物とは、極論すれば「死に向かって生きる物」。
つまり、死があるから「生きている」とも言えます。
死ぬことのないロボットはどんなに人間に近づこうと、やはり機械や道具にすぎません。
しかし、オーナーの人生を記録し続けてきたロボットは、残された遺族にとってかけがえのない存在です。
何故なら、ロボットの記録を通して故人の生涯を顧みることができるからです。
悲しみにくれる遺族にとって、故人の思い出に浸れることはなにより大切です。
でも人間はいつまでも嘆き悲しみ続けることは、できません。
「忘却」という心の浄化があります。
遺族の心が癒された頃、ロボットとの思い出はかえって心の重荷になる可能性があります。
「いつまでもくよくよしていても仕方ない」という前向きな気持ちを阻害することにもなりかねません。
故人のデータを他に移した後は、ロボットもその生涯が終わるようプログラミングしたらどうかと思っています。
ロボティック・ライフスタイルとは、「ロボットを通して、人間の死を見つめ、毎日をより良く生きるための生活スタイル」とも言えます。