その第6話「赤富士」では、原子力発電所が爆発して、着色された放射能から人々が逃げまどう悪夢が描かれています。
赤色は、プルトニウム239
黄色は、ストロンチウム90
そしてセシウム137は、紫色で。
爆発により、富士山が赤く溶け出した後、中年の男と青年、そして幼い子供を連れた女が荒れた海辺に逃げてきます。
中年の男
『放射能は目に見えないから危険だからといって、放射能分析の着色技術を開発したってどうにもならない。知らずに殺されるか、知ってて殺されるか、それだけだ。
死に神に名刺をもらったってどうしようもない。(中略)』
青年
『放射能で即死することはないというじゃないか、なんとか・・・』
中年の男
『なんともならないよ、うじうじ殺されるより、ひと思いに死ぬほうがいい』
幼い子供を連れた女
『そりゃ、大人は十分生きたんだから死んだっていいよ。でも、この子たちはまだいくらも生きちゃいないんだよ』
中年の男
『放射能に犯されて死ぬのを待っているなんて生きていることにはならないよ』
幼い子供を連れた女
『でもね、原発は安全だ、危険なのは操作ミスで原発そのものに危険はない。絶対ミスは犯さないから問題はないとぬかした奴は許さない! あいつら皆んな縛り首にしなくちゃ、死んだって死に切れないよ!!』
中年の男
『大丈夫、そりゃ放射能がちゃんとやってくれますよ。すみません、僕もその縛り首の仲間の一人でした』
その後、中年の男は海に飛び込み、やがて着色された放射能が流れてきます。
幼い子供を連れた女は逃げまどい、青年は上着で必死に放射能を追い払おうとします。
黒澤監督は、作家のガルシア・マルケスとの対話(※)の中で、
『もし過ちを犯してしまったら、放射能というものはどうにも収拾がつかない性能をもっているわけ。決定的なものを持っているわけよ。過ちを犯したら、もう地球には人間がいられないみたいなことになる。われわれは絶対過ちを犯さないからって言われたって、それは困る』
と、述べています。
今日3月23日は、黒澤監督の生誕101年。
※月刊「宝石」(1999年6月号/光文社)