東京湾に面した南側は、1960年代から1970年代半ばにかけて京葉港の埋め立て地として宅地造成され、「袖ヶ浦」(第一次埋立て地)、「秋津」「香澄」(第二次埋立て地)が誕生しました。
「とにかく、ひどい状況」という袖ヶ浦に住む妹に、周辺を案内してもらいました。
そこでは、道路や庭先から液状化した砂があふれ出し、すべての側溝が砂で埋め尽くされていました。
あふれ出た砂がトラック2台分にもなったお宅もあり、家々の前には、かき出された大量の砂と、雨が降った際に土の流出を防ぐための土嚢がうず高く並べられていました。
アスファルトの道路は真ん中から亀裂が入り、盛り上がり、陥没。電柱は斜めに倒れかけ、1m以上地中に沈下。また、ほとんどの家の玄関先は道路と10cm〜30cm位の段差ができ、至るところで塀が崩れていました。また、地震の圧力で側溝の幅が半分になったところも。
町のあちこちで砂を取り除く小型油圧ショベルやダンプカー、たわんだ電線を工事する車両、汚水を吸引するタンクローリー等が行き交い、下水管の修復工事のため、至る所が通行止めに。
「キケン」と張り紙された家屋の傾きを計る測量士の姿も多く見られました。
道路や家屋、電信柱などが歪んでいるため、歩いていると並行感覚がおかしくなりそうです。
町が痛み、悲鳴を上げているのを、実感します。
妹の家は幸い無事でしたが、それでも駐車スペースと道路とに段差が生じ、また、下水管の大元が壊れたため、今も排水ができず、風呂やトイレ、洗濯、料理の片づけなどに、思うように水が使えない生活が続いています。
(少しくらい流しても大丈夫だろうと洗濯機を回したお宅では汚水が逆流して、その始末に大変な思いをしたようです)
市の説明では、仮復旧に3ヶ月、本格復旧の見通しは立っていない、復旧するための経費は100億円規模になるのではないかとのこと。
また、傾いた家屋や倒壊した塀などの修復費は、例え地震保険に入っていても、対象とならないケース(傾斜度合いなど)も有り、家のローンも抱え、自前でどこまで修復できるか思案している方も多い。
3月24日、習志野市は千葉市美浜区、我孫子市及び浦安市と共に東北地方太平洋沖地震災害救助法が適用された。
帰宅難民となり (2011.3.13)