2011年08月13日

小さい街の全国レベルでの活躍

どこの地域でも、その学校が活躍すると盛り上がるという高校があると思いますが、千葉県の場合、その筆頭は市立習志野高校でしょう。

夏の野球選手権で2度、冬のサッカー選手権でも2度優勝し、男子バレーボールやボクシングなども全国レベル。
また、吹奏学部も全国コンクールで数々の金賞をとっています。

首都圏の公立学校で、これほど長年にわたりクラブ活動が全国レベルという学校はあまりないかもしれません。

そのため「習高ファン」、特に野球部が全国優勝したときからの熱烈な熟年ファンも多く、試合会場だけでなく、練習場にも多くの熟年ファンが詰めかけています。

今年のチームは、とびぬけた選手がいない分、機を見て敏な監督の采配のもと、犠打をからめた機動力のある攻撃と固い守りで、見ていて楽しい野球をしています。

ひんしゅくを買う程の「爆音」で有名なブラバンの演奏も小気味良く、これほど応援部隊が「主役」を張るというのもまためずらしいでしょう。

習志野市は「音楽のまち」を標榜しているくらい音楽教育に力をいれており、谷津小学校管弦楽クラブ、第一中学校管弦楽部なども全国コンクールで何度も優勝し、その流れの上に高校の吹奏学部もあると言ってよく、「習高ブラバン」の力強さは、ジュニアからの訓練の賜物でしょう。

習高サッカー部にいる甥っ子によると、吹奏学部は野球以外の応援にはツレナイようですが・・・

習志野市は、千葉市や船橋市という大きな行政区に囲まれた県内2番目に小さな街。
1982年に、県内で初めて「核兵器廃絶平和都市」を宣言していますが、
もともと広大な「習志野原」は、旧陸軍の演習場であったところで、騎兵連隊、鉄道連隊、戦車連隊が置かれ、化学兵器教育の習志野学校や陸軍病院などの軍施設(ロシヤ兵やドイツ兵を収容した捕虜収容所(習志野捕虜オーケストラ!)もあった)など、「軍郷」として発展。

戦後、演習場や軍施設の多くが学校(東邦大学、日本大学、千葉工業大学など)や病院(国立習志野病院、現:済生会習志野病院)、鉄道(新京成線)、企業(日立製作所など)の用地となりましたが、今も陸上自衛隊第一空艇団や航空自衛隊第一高射隊(地対空ミサイル部隊)の習志野駐屯地(住所は船橋市)が置かれています。

小さい街でありながら、市内には鉄道(JR総武線、総武快速線、京葉線、京成本線、新京成線、地下鉄東西線)、道路(京葉道路、東関東自動車道、千葉街道、成田街道、東金街道、東京湾岸道路)などの幹線が通り、物流の中継地として、流通関係の施設も多く、ショッピングセンター間の競争が激しい地域でもあります。

平成の市町村大合併の際には、隣接する八千代市との統合もささやかれながら、なんとか踏ん張ってきましたが、東日本大震災で埋立地の多くが液状化に見舞われ、復興財源をどうするか頭の痛い状況になっており、公民協働型の復興検討会議もはじまったばかり。

小さい街の全国レベルでの活躍は、そこで暮らす人々に勇気と、少なからずの希望を与えてくれます。


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posted by カーサ at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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