2006年08月22日

甲子園とロボット。機械と人間の間に必要なもの

2006年のスポーツの記憶は、サッカーワールドカップドイツ大会ではなく、夏の甲子園・決勝になりそうです。

延長15回引き分け再試合を経ての決戦は、純粋に野球自体の面白さを楽しめました。

今年は時間に余裕があったので地方大会から高校野球を観ていました。

バカスカ点が入る試合や逆転試合が地方大会でも多くあり、その勢いがそのまま、あの駒大苫小牧対早稲田実業の決勝戦に結実した気がします。

高校生の頃、僕は高校野球が嫌いでした。

正確に言えば、マスコミが作り上げる「汗と涙の甲子園」野球が嫌いでした。
感動を無理に強要させようとする演出が、鼻持ちならなかった。

松坂選手の横浜高校が優勝して以来、高校野球人気が低迷していたこともあって、当初、マスコミの反応は駒大苫小牧の3連覇という信じられない記録がかかる大会にもかかわらず、以外と静かな印象でした。

でも大会が進むにつれ、TVや新聞による「感動のドラマ」の洪水があふれ出しました。

「伝える」側からすれば、選手一人一人やその家族、関係者の内面を描くことで、試合の中だけでは見えない「感動ドラマ」を演出することができます。

そんな高校野球につきものの「感動ドラマ」こそ、今後、「機械」であるロボットに必要になってくるかもしれません。

「機械」と「人間」との間にドラマが生まれたとき、ロボットとの関係はあらたな段階となり、ロボットという存在が「機械」を越えていくのだと思います。

ちなみに、7試合948球を投げ抜いた早実の斉藤投手は、通称ベッカムカプセルと呼ばれる高圧酸素カプセルで、疲労回復に努めていたようです。

参考コラム : ワールドカップ5大会分のストーリー (5/15)
posted by カーサ at 11:45| Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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