しかし、シーシュポスがあと少しで岩を山頂に届くところまで押し上げると、岩はその重みで底まで転がり落ちてしまい、シーシュポスはまたはじめから岩を運び上げなければなりません。
「シーシュポスの岩」で有名なこの永遠の苦行は、「果てしない徒労」を意味します。
福島市は、住宅や学校など市内全域の生活空間での放射線量を2年間で毎時1マイクロシーベルト以下にすることを目指した本格除染を開始しました。
福島の他の地区でも本格的な除染作業が今後始められると思いますが、コンクリートやアスファルトで覆われている都市部はまだしも、山間部や森林に近い地域はどうするのでしょう。
一度、表土を剥いで除染したとしても、雨が降り、風が吹けば近くの山野から運ばれた放射線により再び汚染されてしまいます。
チェルノブイリでは30キロ圏内の除染を「とても無理」と途中で諦めましたが、日本では例え100年かかろうとも毎時1マイクロシーベルト以下になるまで除染作業は進められる勢いです。
「シーシュポスの岩」と「フクシマの除染」。
永遠に繰り返されるこの「果てしなき徒労」には、しかし、あきらかな違いがあります。
ひとつは無益な労働に従事しなければならぬに至った、その原因。
シーシュポスの場合は、神々の怒りをかった自らの行いが原因であるのに対し、
フクシマは、東京電力福島第1原発事故による人災であること。
もうひとつは、
シーシュポスが、その罰を自らの身をもって償うのに対し、
フクシマは、東京電力が自らの身をもって償うのではなく、汚染された地元民や電力使用の選択肢のない国民が「果てしなく」罪滅ぼしをしなければならないこと。
東京電力の罪は、「果てしなく」重い。
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