知らない内に食べ物と一緒に飲みこんでしまったらしい。
しばらくそのまま放っておこうと思ったが、ポッカリ穴があいてしまうと、案外気になる。
自宅から一番近い歯科医院に予約を入れ、治療に行く。
その歯科医院は完全予約制のせいか、雪が降る寒い日のせいか、待合室に患者はだれもいない。
やがて、やたらテンションの高い助手兼受付嬢に名前を呼ばれ、診察室に入る。
診察室には小太りで、マスクをかけた目だけらんらんと輝やかした歯科医が、よだれかけを持って、待ってましたとばかり、うれしそうに診察椅子にかけるよう勧める。
詰め物が取れた歯に虫歯があるということで、有無を言わせず局所麻酔され、治療が始まる。
ところがこの歯科医と助手、キンキンギューンとうなる電子音に冷や汗をかく患者などお構いなしに、近所のおじさんの悪口にはじまり、今晩の料理はなにするとか、本当にどうでもいい話を治療中ずっと話し続けていた。二人だけの世界で、実に楽しげに、時には笑い合いながら。
えらいところに、来てしまった・・・・
治療を終え、歯の様子を鏡で見ると、詰め物は「銀」ではない。
「あれ! 銀のほうが良かった? 歯医者的には銀の方がもうかるんだけど、この方が時間もかからないからね」
今日は歯型をとられて、しばらく歯医者通いかと覚悟していただけに、まったく拍子抜けした。
「おもったより、時間かかっちゃったなぁ」
患者の容態より、時間配分のことばかり気にしている。
小説「イン・ザ・プール」(奥田英朗)の主人公、伊良部一郎は、マザコンで注射フェチの精神科医。セクシーな看護士・マユミちゃんと、様々な心の病いを抱える患者をハチャメチャな方法で治していく。
この小説の面白いところは、伊良部の治療行為にさんざん振り回される患者たちが、それでも伊良部の個性に魅了され、通院し続けるうちに、いつの間に完治してしまうところ。
鏡で確認した詰めものの仕上がりは、(舌による感触も)いい感じだ。
治療は今回で終わり、治療費も風邪薬代程度。
「お大事に----!!」、助手兼受付嬢のあっけらかんとした明るい声に送りだされ、歯科医院を出たとき、
伊良部の病院に通う患者の気持ちが、少しわかった気がした。