2007年01月24日

さきがけ塾のころ

そのまんま東氏の宮崎県知事当選、新年1月は気分一新したいという気持ちにふさわしい選挙結果でしたね。

僕はこれまで2度、ちょっとだけ政治の世界に触れたことがあります。
最初は1994年の新党さきがけの「さきがけ塾」。

新党さきがけの田中秀征氏は自分たちの考えを直接国民に訴え、新しい政治を共に推進していくための「さきがけ塾」を94年6月に開講しました。

当時の政治状況は、1年前の93年6月に宮澤内閣不信任決議が可決され、同日、新党さきがけが誕生。7月の衆議院選挙で自民党が過半数割れし、8月に日本新党と新党さきがけを中心とした初の非自民政権、細川内閣が成立。
しかし、94年4月に細川氏が総理を突如辞職して、急遽羽田内閣が成立するも、羽田内閣はたった2ヶ月で崩壊。そして6月に自民、社会、さきがけというウルトラC連立の村山内閣が発足するという、めまぐるしい「政治の季節」でした。

僕はホテルニューオータニで開かれた第1回目の「さきがけ塾」から参加。
「さきがけ塾」には毎回500名ほどの方が全国から集まっていたのではないかと思います。

何回目かの「さきがけ塾」が開かれたころ、塾長の秀征氏が、政策を中心とした会を今度作るので興味がある人は応募するようにと述べ、なにかのテーマ(もちろん政治に関わること)で、参加を募りました。
それがなんという名前の会だったことさえ忘れてしまいましたが、応募すると受かったので当時赤坂にあった新党さきがけのビルに週一回ほど通いました。

会のメンバーは若い男女15名ほどで、毎回秀征氏がなにか題目を挙げて、それについて各自意見を出し合うという感じだったかと思います。
会にはときおり鳩山由紀夫氏などのさきがけメンバーや作家の吉永みち子氏など秀征氏の仲間も加わったりしていました。

秀征氏の行きつけのカラオケ店に行ったり、なかなか楽しかったのですが、僕は病気の妻の看病や幼い娘たちの世話など身内のことで精一杯になり、まもなく参加できなくなりました。
その後、秀征氏もさきがけを離れ、さきがけ自体もいいところなく消滅してしまいます。

当時の新党さきがけにはリベラルな雰囲気が満ちており、進歩的で個性的な人材が多く集まっていたと思います。
タラレバを言っても仕方ないことですが、小沢一郎氏が言うように、「細川内閣がせめてあと半年続いていたら・・・」
きっと今とは違う日本になっていたのではないかと思います。
(つづく)
posted by カーサ at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ポリティクス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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