2011年04月06日

はっきり言って、東京電力の電気は使いたくないし、電気代も払いたくない。

福島第一原発事故による放射能拡散、高濃度汚染水流出、計画停電、火力発電所再稼働 ・・・

はっきり言って、自宅では、
東京電力の電気は使いたくないし、電気代も払いたくない。
原発からではなく、再生可能エネルギー(太陽光、風力発電など)による電気を使いたい。

原発や火力発電所がなければ国内の全電力量を賄えないというなら、電力消費の3割を占める家庭用電力だけでも、再生可能エネルギーによる電気が使える電力会社を選択できるようにしてほしい。

政府内には東京電力の発電と送電の分離案もでているようなので、今回の原発事故を機にグリーンエネルギーやスマートグリッドの推進、電気自動車の普及などを視野に入れた電力事業の大改革が進むこととはおもいますが、
まず私たちにできること、それは、

統一地方選挙で再生可能エネルギーを推進する議員を増やすこと。

グリーンピース・ジャパンの2つのキャンペーンは参考になります。

枝野さん、安全な電気がほしいです
でんきをえらぶ 選挙でえらぶ
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2010年10月24日

『バ―テン、もう一杯たのむ』とできるだけ多くの言語で言う能力

1992年2月29日閏日に、芝・増上寺地下ホールで、「野生生物の日フォーラム」というイベントを行ったことがあります。(野生生物の絶滅について考えるのに最もふさわしそうな日ということで)
主催は、野生生物の共生・保護活動を行っている団体を集めて作った「動物会議‘92」(エーリヒ・ケストナーの「動物会議」から名付けて)。

当時の日本は、バブルの余韻いまだ冷めやらず、野生生物との共生・保護についての話し合いなどまったく実感のない頃でした。

それから18年余、生物多様性条約締約国会議が名古屋で開かれるまでになり、時代は確実に進んでいるんだなと思うわけですが、「動物会議‘92」のほうは、閏年ごとに皆で集まってまたフォーラムをやろうと思っていましたが、いろいろな事情で、結局1回きりで終わってしまいました。

最近読んだ本(※)に、面白いことが書いてありました。
人間の皮膚には、合衆国の人口ほどの細菌、菌類やウイルス、ノミ、ナンキンムシ、シラミ、ヒルなどが住んでいて、人自体多様な生物が暮らす生態系なのだそうです。

とりわけ顔には二種類のダニがおり、特にニキビダニはほとんどすべての人間に大量に生息。いくら額に石鹸を塗りたくり、熱い湯で勢いよく流しても、このニキビダニは一向にいなくならないそうです。

本の著者リチャード・コニフは、なぜか自分は48歳で死ぬと思っていて、ある朝、ピラニア(「ピ・ランナではなく、ピ・ラ−ニヤ」)がうようよしている水槽で、給餌の時間に泳いで見るのはどうかと、ふと思いつきます。

この「ピラニアが欲しいのは美味しい尻尾だけ(でも幸いにあなたのではない)」をはじめ、「地獄から来た四匹の雌」、「なんてこった、私はブタ」、「ちょっとした精子の機銃掃射」など、ユーモアあふれる愛情のこもった文章で世界中の生物、特にピラニアやカミツキガメ、スズメバチなど一般的に厄介者とか嫌われ者の生物、そしてそれらを研究するかなりおかしな愛すべき研究者たちを紹介しています。

シャレのわかった訳者の貢献もあると思いますが、プロローグの「求人」がまた、いい。

「応募者は地球上で最も遠く、最もワイルドで、最も奇妙で、時に美しい場所を訪れ、ほとんど何でも一回は試す覚悟が必要とされる。背広を着る必要は絶対ない。また、あなたの身分は人事も知らない。食事付きだが、キリンのジャーキー、イボイノシシのソーセージ、そして時々付け合わせに甲虫の幼虫がでることもある。
(中略)
時折の孤独感は仕事での危険だ。『バ―テン、もう一杯たのむ』とできるだけ多くの言語で言う能力がこの職業では貴重な助けになる」。

※「飢えたピラニアと泳いでみた」リチャード・コニフ著 (青土社)


グリーンフリーズ (2006.1.12)
うな太郎の身体測定 (2006.10.15)
ハイパースライム (2006.11.9)
いま、身近にある危機(2007.1.16)
マイワシ・ジェノサイドに見る歴史の必然 (2007.3.25)
「お天気フェア」の頃 (2007.5.20)
地球温暖化・「本気」ではない人々へ (2007.5.25)
ヒトは水辺で進化したのかロボット (2007.6.4)
アザラシ・ファンタジー (2010.2.11)
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2009年12月09日

森田タクシー

以前このジャーナルでも取り上げた森田さんを主人公にしたドキュメンタリードラマ
たったひとりの反乱 − ヘドロの干潟をよみがえらせろ」(NHK)が放送されました。

番組では、大量のゴミであふれかえっていた干潟をたったひとり拾い続け、谷津干潟をラムサール条約の登録湿地になるまでにしたその軌跡を本人の証言も交えて描いていました。

森田さんは新聞配達員を辞めた後、時間が自由になるからと個人タクシー業をしながら、市会議員や県会議員になってからもずっと干潟のゴミを拾い続けています。

その「森田タクシー」は、JR津田沼駅南口のタクシー乗り場で、今も乗ることができます。
谷津干潟に飛来するさまざまな野鳥をカラフルに描いた異色の車体を是非、見つけてみてください。

谷津干潟と、ひとりの男 (2007.1.25)
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2008年02月16日

東京振動発電マラソン

振動エネルギーを発電エネルギーに変える「振動発電」の実証実験を首都高速道路が行っています。

これは中央環状王子線にある五色桜大橋に振動発電装置を取り付けて、橋を通過する車の振動でイルミネーションの一部の電力を賄おうというもの。

この「振動発電」は、道路のほかにも、駅の改札付近の床にとりつけて電力を賄う「振動床」や、人が走ったり歩いたりする際に膝にかかる力を吸収して電気に変える「人力発電」など、多方面での活用が考えられています。

17日に3万人を越えるランナーが参加する「東京マラソン」。
近い将来、スタート地点で電光板のカウントダウンをランナーの足踏みで行ったり、ランナーが通ると電光板にメッセージが表示されたり、ランナー自身が自分の電飾をぴかぴか耀かせたり、
「走る」ことを一層楽しめるようになるかもしれませんね。

参考 : 銀座を走るロボットランナー (2007.2.19)
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2007年05月25日

地球温暖化・「本気」ではない人々へ

(つづき)
先日開催された「海中海底工学フォーラム」。

毎回、海を巡る多彩なゲストを迎えて、楽しいスピーチが行われますが、
今回は、東地中海泥火山・塩水湖やインド洋中央海嶺・溶岩大平原の発見、台湾南方沖地震による海底ケーブル故障など、ニュースで報じられた旬なトピックから、日本の沿岸施設の安全保障や海洋教育の普及推進、沖ノ鳥島でのサンゴを増やす技術開発など、4月に交付された海洋基本法を意識した内容にもなっていました。

そんな中、異色だったのは、東京大学生産技術研究所の渡辺正氏の『「地球温暖化」の真偽と「対策」の虚実』という講演。

簡単に要約すると、
『地球温暖化はどうもあやしい。温暖化ということを言い出したのは、1980年代後半。公害問題が一段落した後、学者たちが急に騒ぎだした。自分たちの「メシの種」が必要だったからではないか。
いつの世も「時代の物語」が必要。戦後復興・平和・所得倍増、そして今は「環境」。それらは誰も反対しない「大きな物語」だからだ。
世界の平均気温が上昇しているといっても、それは経済発展で都市化が進んでいるからに他ならず、田舎の大部分は「ほぼ一定」である。都市化が進めば、気温は必ず上がる。
掘った石油や石炭、天然ガスのほとんどはいずれCO2となって大気に出るから、
温暖化を本気で止めるというなら、化石燃料を永久に封印するしかない。
しかし、それは経済の大幅縮小を意味するので、誰もそんなことは言い出さない。ただただ「サイエンス不在の政治経済ショー」が流行するだけだ』。

気象庁は、「お天気フェア」を開催していた当時(90〜95年)、長期的な気温の変化を見定めなければ、地球が温暖化に向かっているかどうか結論できないと大変慎重な態度でしたが、最近は様々な気象データから地球が急速に温暖化していると明確に表明しています。

そんなことを渡辺氏が知らないはずはなく、思うに、渡辺氏の真意は、
環境や地球温暖化をメシの種にしている「研究費亡者」の研究者や、科学的データに基づかない「根拠なきエセ科学」の蔓延、危機感を煽り、ただ「トレンド」として取り上げているだけのメディア、
そうした「本気」ではない人々への強い怒りではないか、と思いました。

最後に、渡辺氏は「CO2輩出の少ない技術・製品もペテン」と切り捨てながらも、「省エネだけは正しい。家計が助かるからね」と述べました。
(つづく)

参考 :
お天気フェアの頃 (07.5.20)
ロボット文化人 (06.4.10)

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2007年05月20日

「お天気フェア」の頃

1990年から95年まで、気象庁や日本気象協会と共に、「お天気フェア」というイベントを行いました。

それまでも、科学と環境に関するイベントを手がけていましたが、80年代後半はバブル全盛の時代ということもあり、「環境」を前面に出したイベントにお金を出してくれる企業はとても少なく、企画しても実現できないことが数多くありました。

そこで、「気象を通して環境を考える」というコンセプトに切り替えて、「お天気フェア」を実施したわけです。
幸い、気象庁はその業務が最先端の科学の現場でありながら、毎日の「天気」や、「地震」などを通じて直接国民に接しているおり、日々の観測や予報が国民の暮らしにダイレクトに影響する省庁ということで、国民向けイベントの予算が少しだけありました。

90〜95年は、冷夏(91年、93年)や酷暑(94年)、長雨による洪水(94年)、巨大台風による被害(90、91、93年)などの「観測史上〜」記録や、
雲仙普賢岳の噴火と火砕流、土石流被害(91年)、北海道南西沖地震(93年)、阪神・淡路大震災(95年)などの大きな災害、
また気象情報を民間企業が2次利用できる気象業務法の改正や、それに伴う気象予報士の誕生など、気象や地震に関するトピックが相次いだ6年間でもありました。
(つづく)
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2007年01月25日

谷津干潟と、ひとりの男

<つづき>
もうひとつは2003年4月に行われた千葉県議会議員選挙でのこと。

千葉県習志野市に、渡り鳥の中継地として有名な「谷津干潟」があります。
ちょうど今頃はシベリア方面から越冬する渡り鳥たちで一番にぎやかな季節ですが、30年前の「谷津干潟」はゴミが散乱し、夏の引き潮時には汚臭が漂うそれはやっかいな場所でした。

そんな干潟のゴミをたった一人拾い続ける男がいました。タクシー運転手の森田三郎氏です。
森田氏とは学生の頃に知り合い、以来ときどき連絡を取り合っていました。

森田氏は習志野市議会議員を2期務めた後、千葉県議会議員に当選。
環境と食の安全を中心に活動を続け、2003年4月に2期目の県会議員を目指して立候補しました。

人手が足りないというので、気軽な気持ちで手伝うことにしたのですが、
公示日当日に事務所にいくと、応援スタッフは2人だけ。

森田氏は市議時代からどこの政党にも属さず、完璧な一匹狼ということもあり、選挙に大量の応援スタッフを雇うお金はもともとないのですが、
この選挙の前に、市の環境政策に怒り、谷津干潟で集めたゴミを習志野市役所のロビーにぶちまけてしまった事件や、共に環境政策を進めている女性市議とのでっち上げの不倫交際を吹聴する右翼の街宣活動、怪文書回覧などの動きもあって、市民の森田氏を見る目が変わり、表だって応援しずらい雰囲気の中での選挙戦となっていました。

そのためポスター張りから、選挙カー運転手、旗もち、そして慣れない応援演説まで、一人何役もこなさなければなりませんでした。

どしゃぶりの雨の中、誰が聞いているのかもわからないマンションの住人に向かって、吃音でとつとつと話す姿が、とても印象的でした。

谷津干潟は1993年6月、日本初のラムサール条約登録湿地に指定され、立派な「谷津干潟自然観察センター」もオープンしていますが、
そこに森田氏の活動を称える説明は、ありません。

森田氏は県会議員を勤めながら、今もひとり谷津干潟のゴミを拾い続けています。
posted by カーサ at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | エコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月12日

グリーンフリーズ

1988年のケニヤへの新婚旅行をきっかけに、1995年までの間、僕は野生生物生態系、オゾン層、地球温暖化、気象などの環境に関するイベントを数多く手がけていました。
1993年にグリーンピース・ジャパンと行ったノンフロン冷蔵庫「グリーンフリーズ」のキャンペーンは、その中でも印象に残るイベントでした。

グリーンピースはオゾン層破壊を食い止める手段として環境負荷の少ない冷蔵庫を「グリーンフリーズ」としてドイツのメーカーと共同で開発。世界の主要メーカーにグリーンフリーズを製品化するよう働きかけました。
いまでこそ、日本の企業も「環境にやさしい商品」とか「ECO」とか謳っていますが、当時、環境問題に関心のあった日本の企業は、日本アイ・ビーエムなど数えるほどしかありませんでした。環境イベント開催のための協賛金集めに奔走した経験から、それは断言できます。
世の中はまさにバブルの頃で、排気量や馬力の大きい自動車に代表される、資源浪費、環境などにはまったく関心がないという時代でした。

グリーンフリーズキャンペーンが画期的だったことは、理念を具体的な製品に落とし込み、情報を公開して、それを世界のメーカーに突きつけ、消費者を巻き込みながら、長い時間をかけて、遂にメーカー各社に製品化を実現させたことです。

93年にはじめて行ったグリーンフリーズ展示会には、予想に反して松下電器、東芝、日立などの大手メーカーをはじめ、中小のメーカーの関係者が、大勢来場しました。
特に印象深かったのは、グリーンフリーズを隅々までチェックし、メモや写真を撮って、無言で帰っていく技術者たちの姿でした。
グリーンフリーズは、途上国でも作れる技術によって開発された決して高度な技術製品ではないにもかかわらず、松下電器をはじめ国内主要家電メーカーがノンフロン冷蔵庫を発売したのは、それから10年もたった2002年でした。
地球温暖化防止京都会議からさえ、5年がたっていました。
松下電器はそれ以降「エコのナショナル」をキャッチフレーズに、環境にやさしい家電商品を次々と発売しています。またグリーンピースと共同でセミナーを開催したり、「イーユーハウス」まで作るまでになっています。

1997年、グリーンピースは国連環境計画(UNEP)から、グリーンフリーズの開発とそれを世界に広めた功績により、「国連オゾン層保護賞」を授与されました。
<つづく>


posted by カーサ at 22:42| Comment(0) | TrackBack(0) | エコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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