2015年06月26日

責任ある地位にいる(いた)男性にこそ

千葉市美術館で開催されている「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」を観る。

ドラッカーが日本画と恋に落ちるきっかけとなった清原雪信の「芙蓉図」から始まり、若冲、白隠、崋山、玉堂、蕪村などの有名どころを始め、111点の作品の殆どは水墨画。

コレクションの白眉は「室町水墨画」の作品群だが、フランス印象派よりずっと早く、墨だけで光を表現した谷文晁の「月夜白梅図」は本当にすばらしく、長い時間見入ってしまった。

驚くのは、一連の展示作品どれもがピンと張りつめた独特の空気感を漂わせていて、見ているうちに深い精神性に浸る感覚に陥ったこと。

ドラッカーが水墨画に何故これほど惚れ込んだのか。

来場者は年配の女性が多かったが、40代以上の責任ある地位にいる(いた)男性にこそ、ドラッカーのコレクションを深く理解し、共感できるのではないだろうか。

仕事や人間関係に疲れたとき、水墨画がこれほど心に染み入る画だったとは、若いころには気づかなかった。
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2012年05月15日

大地の如き舞踊

先日、「ローザンヌ国際バレエコンクール」※の決選の模様が放送されました。

優勝した菅井円加の舞踊。
ニュースでは知っていましたが、他の出場者の舞踏と比較すると、力が抜きん出ていることが、良くわかりました。

それは、これまでの、例えば「白鳥の湖」に代表される、優美でしなやかで、ガラスのような繊細なイメージとは異なり、
力強く、のびやかで、情感のこもった表現と、
大地からの沸き出たような、生命力に満ちあふれた演技。

なにより、観客の心をぐっと引き寄せ、是非Liveで観てみたい!と思わせる「個」の力を感じさせます。

「次世代のバレリーナ」とTV解説で評していましたが、まったく同感です。
これからどんな成長をするか、とても楽しみです。


※15〜18歳だけが参加できる若手の登竜門として知られ、クラシック・バリエーションとコンテンポラリー・バリエーションの2つの課題で競う。
2011年は予選(映像審査)に30カ国226人が応募。本選には19カ国・79人が参加し、決選に21人が進出。日本の高校2年生・菅井円加がスカラシップ賞(最高賞)とコンテンポラリー賞を受賞した。
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2012年04月08日

その作品にとって幸せな場所

東京国立博物館で開催されている「ボストン美術館 日本美術の至宝」展。

奈良時代の曼陀羅図から、長谷川等伯、尾形光琳、伊藤若冲などの近世絵画、刀剣や小袖、能装束など、約90点の展示物はどれもがすばらしく、日本にあったならそのほとんどが国宝や重文指定と思わせるものばかりです。

特に、まるで漫画のように物語の面白さで楽しませる「吉備大臣入唐絵巻」、平治の乱をドキュメンタリータッチでスペクタルに展開する「平治物語絵巻 三条殿夜討巻き」、そして曽我蕭白の超ド級襖絵「雲龍図」は、最大の見どころでしょう。

しかし、今回なによりも驚いたのは、展示作品自体の美しさ(保存状態の良さ)。
ここ数年、日本美術の展覧会をみてきましたが、今回ほど美しさが際立った展覧会はありませんでした。

平安や鎌倉時代の仏画も細部までくっきりと見ることができましたし、快慶の「弥勒菩薩立像」なんかは制作当時そのままといってもいいくらい、金箔もほとんど剥げ落ちていません。
また、蕭白の11点の図屏風は、激しくうねる線描がまるで3D画面のように浮かび上がり、目の前に迫ってきます。

照明による見せ方のうまさもあるとおもいますが、なにより、ボストン美術館の美術品保管方法の確かさでしょう。
140年の間にわたり、美術品を最高の状態に保ち続けた美術館の姿勢は、本当にすばらしいと思います。

それは、例えば、日本にある尾形光琳の作品、「燕子花図」や「紅白梅図」(共に国宝)と、今回出展されている「松島図屏風」を比較するとよくわかります。

「松島図屏風」は金地に色鮮やかな岩の緑や白波がくっきりと映え、まるで現代の作家が昨日描いたような鮮やかさですが、作品の質は遥かに上と思える「燕子花図」にこれほどのインパクトは受けません。

植民地時代に欧米に流出したり、略奪された美術品の返還運動が世界各地で起こっていますが、今回の展覧会を見ると、その作品にとって幸せな場所とは果たしてどこなのかと思ってしまいます。
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2010年04月24日

「節約疲れ」を感じたら、たまには「ハレ」の世界に行ってみましょう。

2009年10月に新装オープンした南青山の根津美術館。
今日から尾形光琳の「燕子花図屏風」を中心にした琳派のコレクション展が開催されています。

琳派の展示ということもあり、会場には着物姿のご婦人方が大勢いました。

しかし、これほどの数の高価な着物を観る機会はそうそうないと思えるほどご婦人方の着物は、まさに「晴れ着」というにふさわしいあでやかな装い。
どうやら庭にある4つの茶室すべてで茶会が催されたようです。

17,000uある庭園は、新緑の若葉が太陽に光輝き、それはそれは「美しい」の一言。
琳派の世界に自分が入りこんでしまったかと錯覚さえするほどです。
そして、あでやかな「晴れ着」は美しい風景にしっくりと馴染みます。

根津美術館から表参道へ通じる道沿いにはオシャレなアパレルや高級ブティックも数多くあります。
「節約疲れ」を感じたら、たまには「ハレ」の世界に行ってみましょう。


泣きたくなるほど、美しい (2009.10.19)
コラボ今昔 (2009.8.24)
継承と変奏 (2008.11.3)
もうひとつのオールジャパン (2008.8.11)
若冲と環境インタラクション (2006.8.20)
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2010年02月15日

テクノロジー・アートな開会式

現代美術では、コンピュータと新しいテクノロジーを利用した様々な試み(デジタル・アート、メディアインスタレーション、アート・パフォーマンスなど)が日常的に行われていますが、先日のバンクーバーオリンピックの開会式は、さながらカネと時間を存分に使った壮大なテクノロジー・アートの発表会のようでした。

特に繋ぎ目がまったくわからない複数プロジェクターによる映像は、ある場面では手書きのアニメーションのように繊細であり、またある場面では映画「アバター」の1シーンのように立体的で、その美しい演出に魅入られました。

現在、家庭用プロジェクターとカメラを用いた新しいインターフェースの開発(「SEATEC JAPAN 2009」や「DEGITAL CONTENT EXPO 2009」参照)が盛んに行われていますが、今後、バンクーバーオリンピックの開会式に刺激されたイベントやアートが増えていくものと思います。

それにしても、日本選手団のユニフォーム。
デザイン面でダメであるなら、ドン小西氏が指摘するように、「こんなに薄いのに寒くない」といった独自のハイテク素材でアピールできないものでしょうか。

こびとのいる街 (2006.8.29.)
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2009年10月19日

泣きたくなるほど、美しい

東京国立博物館で開催されている『皇室の名宝展』。

伊藤若冲の『動植綵絵』全30幅と『旭日鳳凰図』、狩野永徳『唐獅子図屏風』、酒井抱一「花鳥十二ヶ月図」、葛飾北斎「西瓜図」などの近世絵画と、明治から昭和初期にかけての近代絵画と工芸で構成。

美しすぎる若冲の『動植綵絵』をはじめ、まさに「名宝」というのにふさわしい近世絵画に対し、職人の心意気と、時代の勢いを感じる近代工芸の数々がこれまたすばらしく、
特に並河靖之の『七宝四季花鳥図花瓶』、濤川惣助の『七宝月夜深林図額』、三代目川島甚兵衛の「春郊鷹狩・秋庭観楓壁掛」などはもう二度と作れないといわれる「すさまじい」までの超絶技巧作品。

百聞は一見に如かず。是非間近で見ることをお勧めします。


もうひとつのオールジャパン (2008.8.11)
ごった煮と秘園とワンダーランド (2008.11.16)
画家と美術館の幸せな関係 (2009.6.6)
コラボ今昔 (2009.8.24)
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2009年08月24日

コラボ今昔

缶コーヒーやTシャツ、乾電池とロボットなど、なにかとコラボレーション(共同作業)することが盛んですが、見事なコラボレーション例をふたつほど。

ひとつは、日本の元祖コラボ、江戸時代初期の本阿弥光悦と俵屋宗達による「鹿下絵和歌巻」(しかしたえわかかん)。

計算しつくされた超絶技巧を駆使しているのにかかわらず、その画と書からは、自然で軽やかな、なんともいえない情感が漂います。

本来の「鹿下絵和歌巻」は、鹿の絵と新古今集の和歌からなる全長22メートルの一巻物でしたが、その後、細かく切断され、前半部分が日本の5つの美術館とふたりの個人コレクターの手に、後半部分がシアトル美術館の所蔵になりました。

会場には切断された部分をコンピュータ技術で繋げた全体像も再現されていましたが、それを見るとバラバラになったことが本当に惜しまれます。

もうひとつは、新しい宿泊のスタイルを提案するカプセルホテルの発表会「ナインアワーズ展」。

これは、カプセルをひとつのモジュールとしてとらえ、デザインや機能性で都市の宿泊の新たなインフラを目指すというもの。

その宿泊空間は、本当にシンプルで機能的。都会的なセンスにあふれています。 

12月に京都に1号店がオープンするそうです。

画家と美術館の幸せな関係 (2009.6.6)



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2009年06月06日

画家と美術館の幸せな関係

マーク・ロスコの〈シーグラム壁画〉全30点の内の15点が川村記念美術館で展示されています。

〈シーグラム壁画〉に接すると、まるで教会内部や宇宙空間にいるような、深遠で、哲学的な感覚に陥ります。
また、「黒い絵」の部屋は、まるでキューブリックの「2001年」のようです。

〈シーグラム壁画〉は、ニューヨークのシーグラムビルにあるレストラン「フォー・シーズンズ」の一室ために制作された連作で、大きな横長の画面に窓枠を思わせるかたちが、深い赤茶色と黒を基調に描かれています。

しかし、〈シーグラム壁画〉は、作者の意向でレストランには飾られず、長い間、そのままになっていました。

やがて、自分の思いどおりの照明や展示ができる部屋を作ることを条件に、ロスコは〈シーグラム壁画〉をロンドンのテート・モダンに寄贈します。(今回、ロスコとテート・モダンの館長との4年に渡る16通の手紙も公開)

今回の展覧会であらためて思ったのは、ロスコの「意思」を完全な形で実現しようとする美術館側の「意思」。
それが、一体感のある見事なまでの展示表現となっています。

公的美術館の収集作品、特に現代美術の展示が、だいたいつまらないのは、事前に予算があり、すでに評価された作品を合議制によって纂集し、建物ありきの展示構成ということがあるからだと思いますが、
川村記念美術館は、収集した作品にあわせて建物を作り、美術鑑賞するための環境(自然散策路、白鳥のいる池など)を整備し、なにより、その収集した作品どれもがコレクターの強い「意思」を感じることです。

そして、
人懐っこいシナガチョウが来館者をなごませます。


デュマス その恐るべき表現力 (2007.5.2)
若冲と環境インタラクション (2006.8.20)



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2008年11月16日

ごった煮と秘園とワンダーランド

浅草寺本堂が再建されて50年を記念して、浅草でさまざまな催しが行われました。

歌舞伎の「平成中村座」の特別興行、江戸指物、提灯、手拭いなどの見世や茶屋を再現した「奥山風景」、浅草芸者衆の「浅草おどり」・・・
浅草らしい猥雑な楽しさで、老若男女外国人で、ごった返していました。

五重塔に隣接した会場で開催された「大絵馬」の展示もまた、ごった煮の面白さで、
二代将軍秀忠が寄進した神馬の蒔絵や五代将軍綱吉自筆の観音菩薩像から、歌川国芳、鈴木其一ら一流絵師による合戦物、霊験、鵺退治にいたる巨大な絵馬の数々は、よくぞ震災や風雪をくぐりぬけて残ったものだと思う作品ばかりでした。

そして、今回特別公開された伝法院の庭園

小堀遠州の作といわれる回遊式の庭は、コンパクトながらも起伏に富んだ造りで、特に池と五重塔のコントラストの妙は、浅草にこんな落ち着いた場所があったのかと、新鮮な驚きでした。

それもそのはず、伝法院は浅草寺を訪れた将軍などの休み処となっており、江戸から明治まで「秘園」とされ、一般に公開されることはありませんでした。

ワンダーランドは案外身近にあるもの。
秘仏、秘薬、秘儀というのは知っていましたが、秘園というのもあるのですね。

余談ですが、松下幸之助により寄進された雷門。そこにぶらさがっている大提灯に大きく書かれた社名は「パナソニック」ではなく、「松下電器」のままでした。

夏祭り バチ当り (2007.7.28)
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2008年11月03日

継承と変奏

尾形光琳の生誕350周年を記念して開催されている「大琳派展」。
 
尾形光琳をはじめ、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形乾山、酒井抱一、鈴木其一の絵画、書跡、工芸などが、ほぼ年代順に展示されると共に、
宗達、光琳、抱一、其一の「風神雷神図」をはじめ、花、鹿、伊勢物語など同一テーマの比較展示がなされ、江戸時代を通した琳派の系譜=「継承と変奏」をたどることができます。

抱一の「夏秋草図屏風」など琳派の代表的な作品はもちろんすばらしいのですが、特におもしろいと思ったのは、光琳の「ブランド化」現象。

光琳のデザインはすでに生前から人気があり、没後も「光琳ブランド」として、小袖や振袖、硯箱、盆、印籠など、さまざまな工芸品の意匠として、広まっていきます。

日本人の美意識の通底には、あきらかにこの「光琳ブランド」の影響があるようです。

先月、カロッツェリア「KEN OKUYAMA DESIGN」がスポーツカー『K.O 7』の販売を発表しました。

そのホームページの冒頭には、安土桃山時代の画家、長谷川等伯の「松林図屏風」をバックに超然とたたずむ「K.O 7」が登場します。

「K.O 7」は、2000万円を越える高級車ですが、この姿だけで、ヤラレてしまいます。

同じ奥山氏がデザインしたロボット「nuvo」には、蒔絵バージョンがありますが、いつの日にか、琳派の流れを汲む、美しいロボットも登場することでしょう。
(つづき)

意思をもったモノ。ヒト700万年の記憶 (2008.5.7)
ロボットのマイバッハ (2008.5.12)
もうひとつのオールジャパン (2008.8.11)
日本のロボットが自ずと目指す先 (2008.8.19)
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2008年09月08日

勝手にしやがれ

先日のNHKスペシャル「よみがえる浮世絵の日本」。

ボストン美術館に寄贈された「スポルディングコレクション」の中から、歌川国政の作品が紹介されていました。

歌舞伎役者のいきいきとした表情を画面一杯に描いたその初期の作品は、同時代の絵師・写楽と比較しても圧倒的にすばらしいものでした。

しかし、その後の2回の中断を挟んで、国政は役者絵を描くのを止めてしまいます。

番組は、その理由として、大衆の好みがブロマイドのような役者絵から、芝居の内容がわかる絵柄を求めたこと、また版元が新興ベンチャーから老舗に変わったことを挙げていました。

人々のニーズが変われば、表現方法が変わるのは世の常とはいえ、
また商売である以上、版元の意向が絵師の表現を規制する結果になったというのもわからなくはありません。

しかし、写楽が9ヶ月で忽然と世の中から消えてしまったのも、国政が1年半で役者絵を描くのを止めてしまったのも、
自分が表現したいものと版元が要求するものとの葛藤に悩み、反撥し、やがて疲れ切り、馬鹿馬鹿しくなって、最後には「勝手にしやがれ」と筆を投げた、真相は案外そんなところかもしれません。

酒よし (2008.6.15)
江戸ランドスケープ(2007.7.22)
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2008年08月11日

もうひとつのオールジャパン

北京五輪と同時期に、東京国立博物館で開催されている「対決−巨匠たちの日本美術」展。

鎌倉時代から大正時代までの日本の名画約100点が、「対決」という形で展示されています。

その中で、会期最後の一週間だけ公開される俵屋宗達と尾形光琳の「風神雷神図屏風」。

日本絵画史上もっともポピュラーな作品が並べて展示されており、本家・宗達と本歌取りを狙った光琳との比較ができます。

その他、雪舟の「秋冬山水図」、永徳の「檜図屏風」、等伯の「松林図」、光悦の「舟橋蒔絵硯箱」、若冲の「仙人掌群鶏図」、蕭白の「群仙図屏風」、芦雪の「虎図」など、
超弩級な日本オールスター作品がまるでCDのベストアルバムのように展示されています。

何がホンモノか、ということを実感するためにも、多くの若い人に見てほしいと思いました。

酒よし (2008.6.15)
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2008年06月15日

酒よし

「自分にしか書けないものしか書いてはいけない」と述べたのは、ジャーナリストの佐野眞一氏ですが、そんな「魂を込めた言葉」に思いがけず出会いました。

NHK教育の新日曜美術館で放送された「伝説の書家 三輪田米山(べいざん)」。
幕末から明治にかけて、天衣無縫な書を残した三輪田米山は、「酒を飲まぬと、筆をとる事難し」と三升の酒をあびるように飲み、酔眼朦朧倒れる寸前に書くという書道家でした。

米山の本職は四国松山の神主で、50数年にわたり毎日日記を書き続け、そこに書かれた天気の様子は後に松山気象台の参考になったほど真面目な性格の人でした。
また近所の子供たちに書道を教え、様々な書の技巧にも通じていました。

しかし、それだけでは良い字は生まれない、上手に書きたいという気持ちを捨てたとき、良い字が生まれる、しかも中途半端な酔いでは決して良い字は書けないと、
升の単位でしこたま酒を飲み、硯にも清めの酒を入れ、時には人に抱えられ、時には血反吐を吐きながら、まさに命がけで書いたといいます。

書には、あえて篇(へん)と旁(つくり)の間に透き間のある1字を入れ、読み手に考えさせる時間、見つめる時間を求めました。

米山の書はどの字もとても魅力的なのですが、特に「屋外の書」、その場の環境に合わせて書かれた神社の石文(いしぶみ)に、なんともいえない温かみを感じます。

今年は米山没後100年だそうです。
自分が知らないだけで、日本にはまだまだすごい人がいるのだと実感させられたひとときでした。

参考 :
若冲と環境インタラクション (2006.8.20)
仏神レプリカント (2006.10.25)
余計な説明はしない心地よさ (2007.4.8)
逆転の発想の遺伝子 (2007.4.10)
デュマス、その恐るべき表現力 (2007.5.2)
江戸ランドスケープ (2007.7.22)
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2007年07月22日

江戸ランドスケープ

先日、「金刀比羅宮 書院の美」を観てきました。

「こんぴらさん」の愛称で知られる金刀比羅宮の書院には、円山応挙、伊藤若冲、岸岱などの画家の手による130面の襖絵があり、今回、そのうちの10室を再現しています。

特に通常は書院でも非公開の「花丸図」(若冲)は、淡い濃淡や「見えない」ところに美を感じる日本画の中にあって、色鮮やかな200点もの花々が六畳の襖いっぱいに等間隔で並び、圧巻です。

しかし、惜しむらくは、建物と一体となった書院襖絵本来の美しさが主催者の創意工夫にもかかわらず、もうひとつ伝わってこないこと。
絵画一点ものの展示とは違い、環境と共にある美術品展示の難しさがあります。

それに対して、同時開催されている「歌川広重 名所江戸百景」は、もともと江戸の市中と郊外の景観を紹介する「企画モノ」だけに、単品としての「キレ」だけでなく、120枚の連続する「」としておもしろさが伝わってきます。

今回、広重の版画をじっくり見て、意外なことに気づきました。
人物の顔が皆「ヘタウマ」なのです。
それが作者の洒落によるものなのか、版元の指示なのかはわかりませんが、特に男性の顔はほとんどマンガです。

風景や名所企画シリーズの職業画家として活躍した広重にとって、人の顔もデフォルメした風景の一部として見ていたのかもしれません。

それにしても江戸のなんと多様で、美しい情景か。

グーグルマップスでも「名所江戸百景」を楽しめます。

参考 :
若冲と環境インタラクション (06.8.20)
仏神レプリカント (06.10.25)
余計な説明はしない心地よさ (07.4.8)
デュマス その恐るべき表現力 (07.5.2)
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2007年05月02日

デュマス その恐るべき表現力

連休の合間、東京都現代美術館で開催中の「マルレーネ・デュマス」展に行きました。

「いま私たちの怒りや悲しみ、死や愛といった感情をリアルに表現してくれるのは写真や映画になってしまった。かつては絵画が担っていたそのテーマをもういちど絵画の中に取り戻したい」

なんの予備知識もなく観たデュマスの作品でしたが、
その独特のタッチで描かれた人物像に、一瞬で心をわしづかみにされました。

特に荒木経惟の写真からインスピレーションを受けた「ブロークン・ホワイト」や写真家アントン・コルビンとのコラボレーション「ストリッパー」シリーズなど、「」をとことん見つめた作品群は、どれも力強く、本当にすばらしいものでした。

来年、ニューヨーク近代美術館とロサンゼルス現代美術館で大回顧展が計画されているそうですが、是非全ての作品を観てみたい、そう思わせる卓越した表現力を持つ作家だと思いました。

それに引き換え、別室で観た岡本太郎の「明日の神話」。
ただデカイというだけで、何も心に迫るものはありません。
デュマスとの才能の差だけが際立つ展示になっていました。
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2007年04月08日

余計な説明はしない心地よさ

最近は韓流映画の影響でしょうか、それともテレビ的な映画作りのせいでしょうか、やたらと泣き叫び、くどくどと説明する映画が多いですね。

文京区の小石川植物園の一角に旧東京医学校本館(現東京大学総合研究博物館小石川分館)はあります。
ここに東京大学が明治10年の創学から収集してきた600万点を超える各種学術標本の一部が展示されています。

建物の内部は現代的な補強と改築がなされてはいますが、創建(明治9年)当時の雰囲気は十分感じられるつくりになっていて、小さい頃によく遊んだ上野の国立科学博物館の湿った空気の感触を、ふと思い出しました。

無造作に置かれた学術標本や理化学機器のほとんどにキャプションはなく、一体それは何なのか、創造力を刺激します。

その東京大学総合研究博物館と写真家・上田義彦氏とが取り組んだのが、「CHAMBER of CURIOSITIE」。

古びて、価値を失った各種学術標本が、上田義彦氏の手により新たな生命を吹き込まれ、漆黒の闇に凛として浮かぶ、緊張感ある「芸術作品」に仕上がっています。

これほど知性を感じ、知的感覚を奮い立たせる写真集もないでしょう。
当然ですが、データ以外の余計な説明は一切ありません。
(つづく)
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2007年03月19日

生に合わない

また途中で出てしまった。どうも自分の体質と合わないようです。
演劇の話。
新国立劇場で上演された「コペンハーゲン」。

第二次大戦中の1941年。ナチスの原爆開発計画に携わっていた物理学者ハイゼルベルクが、恩師であり高名なユダヤ系物理学者ボーアのコペンハーゲンの家を訪れる。
盗聴器が仕掛けられた密室で語られた真相とは何だったのか。ボーア夫人を含めた三人が死後の世界から、その「謎の一日」を再現する。

英国の劇作家マイケル・フレインが1998年に発表し、2001年に日本でも初演されたこの「コペンハーゲン」は、トニー賞をはじめ国際的に高い評価を受けた作品。
緻密な構成、掘り下げた人物像、シンプルな舞台設定、美術・照明・音響も美しく、物理や科学を背景にした知的エンターテインメントは、すばらしいと思うし、決して嫌いじゃない。
嫌いじゃないのだけど、
でも途中で出てしまいました。

オペラやミュージカル、バレエ、能、歌舞伎、人形浄瑠璃 どれも最後まで決して観飽きないのに、演劇だけはいつも途中で出てしまう。

生に合わない、ということでしょうね。
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2006年10月25日

仏神レプリカント

一本の木材から仏像を作りだす一木彫(いちぼくちょう)。
その展覧会を観てきました。

奈良・平安時代の堂々とした作品から、江戸時代の円空(えんくう)・木喰(もくじき)のユーモラスな作品まで、その数146体。
圧巻です。

それはまるでロボットの静展示のよう。

全身オーラ全開の「菩薩半跏像」や「十一面観音菩薩像」、
顔面が裂け、中から仏の顔が覗く「宝誌和尚立像」などは、レプリカントさながらの異様さです。

また、円空や木喰の仏像には人間への深く暖かなまなざしが感じられ、見ているだけで幸福な気持ちになります。

ロボットの造形を考えるうえで、多くのヒントがあるのではと感じました。

ちなみに、最近若い女性に流行っている「お団子頭」。
その原点でもある仏像の鬘。
トンでもなく奇抜で多彩な「お団子頭」も同時に楽しめます。

参考コラム :「若沖と環境インタラクション」 (8/20)
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2006年08月20日

若冲と環境インタラクション

上野の東京国立博物館にプライスコレクション「若冲と江戸絵画」展を観に行きました。

伊藤若冲(じゃくちゅう)を中心に円山応挙(おうきょ)長沢芦雪 (ろせつ)酒井抱一(ほういつ)、鈴木其一(きいつ)などの江戸の画家の作品100点あまりが展示されていました。

どの作品も個性豊かで理屈ぬきにおもしろいのですが、それは、
ジョー・プライス氏が作家の名前ではなく、自らの琴線に触れる作品を選んできたという点。

50年前にニューヨークで魅せられ、誰の作品かわからぬまま購入した葡萄の絵が、のちに伊藤若冲が描いたものとわかったというように、既成の専門知識ではなく、プライス氏独自の感性が作品選びの基準になっています。

そのため、どの作品も生き生きと、のびのびとした印象を受けます。

そして圧巻は、
「江戸時代にガラスケースはなかった」というプライス氏の意向による、
ガラスケースを用いず、光の効果に工夫を凝らした展示室。

これが抜群にいい。

金箔や銀箔の屏風画が光の明暗で微妙に変化していく様が絶妙で、
まるで「映画」を観るようです。

単に古びた印象でしかなかった屏風画が、ライティングによる環境変化で活き活きとした生命感を取り戻す、その「瞬間」に立ち会うことができます。

絵画もロボットも環境とのインタラクション(相互作用)が大切ですね。
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